◎ 15日、16日と福島と宮城に行ってききました。 共働舎 萩原 達也
※横浜のパン屋さんたちのNGBCというNPO法人が東日本大震災の支援のための
募金活動を展開してきており、既に日本赤十字とあしなが育英会に100万円ずつ
募金をしています。
残っているお金は自分たちらしい「支援」に使おうと言うことで、震災で被害に
あった福祉施設で、今後パンや菓子つくりを展開したいと考えているところに
パンつくりの設備一式と技術支援を提供しようと決まり、日本セルプセンターを
通して呼びかけをしていたところ、4か所から応募があり、決定した2カ所の施設を
訪問して顔合わせ、今後の事を確認する、というのが目的でした。
※1カ所目は福島,郡山駅から車で小一時間ほど、水郡線の磐城石川という駅が最寄り駅。
和泉式部の生誕の地だそうで、温泉がでます。山あいの立派な桜並木の川沿い、
代々お医者さんだった方がはじめた法人で、精神障がいの方と知的障がいの方が半々、40名弱の方たちが利用している施設でした。

園芸をしているそうで、野菜や米も作っているようですし、花つくりもしているとの
こと、震災によって引き起こされた原発事故で食べ物がまったく売れなくなってしまった、これから先、どうなっていくのか?
野菜や米つくりはもう諦めて、花つくりをもっと充実させるしかないのではないか?
もともと理事長さんの構想にあった、「人の集えるコミュニティカフェ的なもの」にパンや菓子つくりを合わせたら?
そうしたことを考えた施設長さんが、今回の話に是非ということで動かれた、
ということでした。
既に担当者候補の職員も決まっていて、その方たちも話に加わりました。
施設長さん自身がかつて施設の職員として焼き菓子をつくっていた経験があると
いうことでしたが、パンつくりは誰もやったことがないし、
本当にできるのか?という議論もあったようでした。
1軒目の訪問ということで、互いにやや緊張して、施設長さんと名刺交換、今回この動きをサポートしてくださっている日本セルプセンターの事務局長の清島さんが、そんな雰囲気
を感じ取って丁寧に我々のことを説明してくださいます。
そうしたところに担当者候補の職員2名が加わり、話が一端途切れ、再び名刺交換、
櫛澤電機の社長の澤畠さんが「みっちゃんと呼んで」に一気に場が和み、
「女性だからって、すぐ態度変えちゃって」と、今回の技術指導を引き受けてくださった加藤さんがツッコミ、どっと笑いが起こり、さっきはじめて会ったとは思えない
ような雰囲気で話が進みました。

話をうかがっていたのが木造の建物の2階。突然、建物の真下の地面から落雷のようなドン!という突き上げがあり、
我々4人は「えっ??、何がおきたのか?」とたじろぎます。
「また、最近地震が多くて」と施設長さん。聞けば、断層が近くに走っているそうで、今のは多分それが震源地のものだろう。
東日本大震災の余震だと回転するような揺れだそうで、利用者の人たちが慣れてしまって、それはそれで困りごとだと、話されていました。
工房にと考えておられる場所を確認し、あれこれとお話をし、早ければ6月くらいから
パンつくりをスタートさせようということで話がまとまりました。
加藤さんがパンつくりにかける想いを熱く語り、
みっちゃんが「うん、大丈夫」とニコニコして言い、パンつくりによって
用意できる「舞台」に登場する利用者の輝きをみんなで話し、
担当候補のお一人が、「なんだか楽しそう、きっと大変さもあるんでしょうけれど」と
ワクワクしてきているようで、まずはこの訪問成功だったのではないかと思います。
利用者の方たちの気持ちのこもった挨拶がとても印象に残りました。
隣の須賀川市の市役所の壁はまだ崩れたままでしたし、道路も修復中のところが何カ所も
あります。
震災からもうすぐ1年ですが、地震の被害そのものがとても大きかったのだと想像
できます。
郡山を後にし、仙台に向かいました。
※翌日は、「さくらんぼ」という施設を運営している法人を訪問しました。
塩釜に近い、海沿いの多賀城市にある施設は津波により全壊。すぐ近くにある高齢者の施設の利用者を車で避難させ、そのあと障がいのある人たちを避難させ、そこに津波が襲ってきます。歩道橋の上で津波を逃れ、とにかく命は皆無事だった。
その歩道橋で難を逃れた人たちは施設の関係者11人を含め70人近くいて、高齢の方か
ら避難をしていったが、自分たちが救助されたのは12時間後だった。
昨日の仙台は最高気温が3度。南関東の我々には堪える寒さでしたが、地元の人たちに言わせるとそれでも暖かい。
『3月11日はもっと寒かった。』息のつけないような体験談から話が始まりました。
海から上がってくる突き刺さるような寒風にさらされながら、
7か月前に建物が出来、スタートしたばかりの高齢者の施設の前に立ちました。
まだ、新しい建物なのに人の気配、暮しの痕跡は何もありません。
入居者の方たちは他の施設に移っていただき、この事業所は中止状態。
建設時の借金だけが残っている、ということでした。
※津波はこの高さまで来たそうです。

道路を挟んだ向かいの家、2階建ての1階には家具らしきものが一切ありません。
老夫婦が庭の植木の植え替えをしています。「ジャッ、ジャッ」というシャベルを
土に刺す音が聞こえてきます。
下請けの仕事や清掃などを事業にしていたということで、パンつくりに取組むのは全く初めてということでしたが、話を伺った施設長さん、法人の事務長さん、
お二方とも迷いのない目をしていました。
「失うものはもう何もないので」と淡々と話されているところにここまでのご苦労
が滲んでいます。
「自然は人間の営みには冷淡、無関係である。」何かに書いてあったそんな言葉が
浮かびます。
そうした自然の変わらない態度、人とは無関係の態度は、きっぱりしているが故に、
サバサバした感じ、ある種の諦観をもたらすのかもしれません。
前に進んでいくしかない、という気持ちにさせるのかもしれません。
原発事故、しかも風評被害などに悩む福島の方たちのほうが、ひょっとすると、
やり切れない「分断」「断絶」「捻じれ」に否応なく巻き込まれてしまっているの
かも知れません。そんなことをふと思いました。
(たった数時間の訪問でそんなことを言うのは間違いなのかもしれませんが)
それにしても加藤さん、(亀谷万年堂の「ナボナ」を開発された方です。
パンもお菓子も、和菓子もできます。)
加藤さんのパンつくりにかける尽きることない情熱、このほとばしりは一体何なの
でしょう。少年のようです。
隣でそれを聞いていると、こちらまで「純化」されてくるような感覚すら覚えます。施設長さん、事務長さんもだんだん引き込まれていくのがわかります。
そしてみっちゃんのアバウトさ、これも筋金入りです。並大抵ではありません。
ああ、きっとなんとかなるかな、人をそういう気持ちにさせる力がこのアバウト
さにはあります。これまでこの方はどんな経験をしてきたのでしょう。
きっと相当な修羅場を踏んできたのだと思います。
徹底的な何かが今のこの人をつくっている、
やはりそのように思うしかありません。
長年、福井県で知的障がいの人たちと一緒に仕事をされてきている清島さん、
穏やかな方で、福祉の仕事をしてこられた人の匂いがあります。
人を見る眼の柔らかさ、暖かさを感じます。
気持ちのよいつながりというのは大事にしなければと思います。
1泊2日のこの同中が、きっと共働舎や本舗の利用者や職員に何かを生んでいく、
ひいては開く会に風を吹かせていくことになるかもしれない。
いや、そうなるように動きたいと思った帰りの車中でした。
・・・萩原さんが、「開く会」の職員たちに福島と宮城、訪問の報告をメールで
した内容を掲載しました。
2013年第5回チャレンジドカップに参加してもらえることを楽しみに
技術支援も含めた活動をしたいですね!
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